アンバランスと向き合う

HSPな私がやりたいこと、気づいたことを書き残すブログ

子供嫌い、人嫌い

子供嫌い、というほどでもないけど。


最近、姪の保育園のお迎えに行っている。
週に一回だけのお手伝い。

18時半までにお迎えに行けば追加の料金がかからないらしい。
会社に通勤している姉(姪の母)に代わって降園時だけ手伝っている。

二回目のお迎えのとき。
降園の手続きをしていたら知らない園児に抱きつかれた。
「どうしたの?」と聞いても、ただ楽しそうに笑いながら私の服を引っ張ってくる。
こういう時ってどうしたらいいの?


姉妹の末っ子で、いとこの中でも一番年下で、
年上から可愛がられることはあっても、
年下を可愛がりながら育ってはこなかった。

小学校の縦割り班とか、中学校の部活とか、
年齢の上下関係の中で自分が年上として関わることは今まで何回もあった。
何回あっても年下と関わるのは苦手だった。

今になっても苦手だ。
毎年みんな同じように年を重ねて年下ばかりが増えていくのに。
20歳以上ならまだいい。
特に子供が苦手だ。

「子供好きなんです」と言うと良い印象を持たれることが多いと思うが、
「子供嫌いなんです」と言うと良い印象は持たれないだろう。

これは子供好きの人にはわからない。
だって好きだから。
私も子供好きの人の気持ちはわからない。

どちらもただそのまま思っていることを話しているだけだが、
子供嫌いは少し損だ。


私に抱きついてくる園児については、そのまま無視して姪を探しに行った。
私の声かけも届かず、ずっと笑いながら服を引っ張ってくる。
たぶん私の声を聞くよりも今遊びたい気持ちでいっぱいなんだろうと思う。

子供が苦手な私ではとても対応しきれない。
自分の姪や甥と関わるだけで十分だ。

こういう予想もしていない子供との接触でも、
子供好きの人には嬉しいのだろうか。
子供であれば相手がどんな人でも好きになれるのだろうか。

私は子供というより人が苦手なのかもしれない。

無色のわたしへ

来月から無職になるわたしへ。
踏ん張れ、生きるって面白いぞ。


三年ちょっと勤めた会社を辞める。

仕事やだ!辞めてやる!という時と、
毎月ある程度お給料もらえるし・・・と安定を求める心で揺れていた。

本当に無理になり、最後の最後に限界がくる前に休職した。

休職してから数ヶ月たったが、
だらだらと過ごしてみたり、規則正しく過ごしてみたり、
何をやってもこれからの自分がどうしたいのかわからなかった。

そのうち気持ちも前向きになってきて、
生活費も潤沢にあるわけではないから、
会社に復職する方向で考えていた。


年が明けて、2022年。
復職のためのリハビリとしてカフェで本を読んでいた。

「会社辞めよう」と思った。

本の著者に勧められたわけでもなく、
年始までは会社に復職するつもりでいたのに、
「やめよう」という思いがわいてきた。

なんとなく、こっちがわたしの道かと思った。

次の仕事も決まってないし、
何か特別なことができるわけでもない。
どうやって生活していくのか何も見えていなかったけど、
わいてきた思いに従うことにした。

退職の手続きはびっくりするくらいに順調に進み、
どうやらわたしは今月末で退職するらしい。
他人事みたいだ。


退職一週間前だが未だに次の仕事は決まっていない。
普通はもっと焦るのかもしれない。
収入がないわけだし。

でも、今までずっと会社員として生きてきたから、
一回くらい無職を経験してみてもよいのではないかと。

就職、転職、休職、退職、無職。
いろんな立場を経験してみて、
(きっと無職が一番避けたいところだろうけど)
休職から退職、無職になる今の人生が一番勉強になっていると思う。

会社に任せていたお金の知識とか、
深く触れないようにしてきた自分の気持ちの弱さとか、
うまくいかない恋愛とか10年後の自分の人生とか、
たくさん学んで考えて整理していかなきゃいけないことがある。

生きていると、いろんなことがあって面白い。

病んでることに気づいたとき

二カ月休職することになった。

仕事でのプレッシャー。
もう関係ないのに過去の嫌なことを思い出す。
緊張する電話。
毎日いっぱいいっぱい。
あんまり残業していないのに疲れる。
朝起きると仕事に行きたくない。
混んでる電車。
同じビルに向かうたくさんの人たち。
突然発生する作業。
会議会議会議。

いろんな刺激に疲れてしまって、
ただのわがままかな、とも思ったけど、
どうしても仕事や会社に関わる自分が無理になった。

鬱ほど大変な症状ではないが、
適応障害と診断してもらい休職することに。

少しだけ薬に頼りながら、
カウンセリングにも通い、
まさか、自分が。という思いもあったが、
休んでいると平穏に過ごすことができる。

ただひたすら家でごろごろしたり、
友達と遊んだり、旅行に行ったり。

休みを満喫しながらも、
これからどうしようか…と悩みがなくなるわけではない。

復職か転職か、失業手当をもらいながら模索するか。

決めきれず迷っているうちに、あっという間に二カ月が経ち、
気持ちも身体もいまいち回復していないので、休職は延長に。

仕事なんてしなくても、
多少のお金がもらえる日本のいろんな制度に感謝しながら、
また休みを満喫している。

しかし、もちろん仕事していたほうが稼げる。
さらに会社員という雇われ人はとても守られている。

組織とか会社とか向いてないよな~と思っているが、
会社員しか経験していないので実際のところはわからない。


みんなが働いている間に、
なんだか無駄な時間を過ごしているかも…
と思ってしまうことも多々あるが、
人生の中にたまにはこんな時があってもいいではないかと、
自分を励ましながら生きている。

久しぶりの理由

気づいたら三か月経ってた。

引越しや環境の変化で落ち着いて文字をまとめることができず、
やっと気が向いたのでブログを再開した。

4月から新しい職場になり、
負担に感じていた職場の人間関係は前よりかなり改善されたけど、
今はまた違う問題がでてきた。

嫌なことを考える時間がなくなったおかげで、
新しいことを考える隙間ができた。

今の仕事をこれからも続けていくのか?という新しい疑問が生まれた。

業界は変わらないが数年ごとに職場を変えて
少しだけ変化のある仕事の仕方を、と思って勤めてきたけど、
今の仕事が楽しいかというと、楽しくはない。

仕事が楽しくないことに気づいた。

今までは、仕事は仕事だからお金を稼いでいるだけで、
趣味を仕事にするとか、楽しく仕事をするとか、
そういうことを考えたことがなかった。

こうなったきっかけは
「今の仕事楽しいですか?」と聞かれたときに、
なんとも答えられない自分に気づいたことだ。

楽しいかどうかで仕事を選んでこなかったので、
その答えは持っていなかった。

それから、自分の中でもやもやしていたものがはっきりしてきて、
今の仕事に一ミリも興味がないし、全然楽しくないという思いが確定した。

そうなると仕事を辞める道しかなくなる。

仕事を辞める、辞められると思うと一気に楽しさが増す。
自分の感じている感情が答えなんだと思った。

とはいえ、会社に所属しているので「今日辞めます。」とも言えないし、
辞める時期、辞めた後の仕事やお金のこと、たくさん考えることができた。

考えるのは楽しい。
確実に辞める方向に進んで生きている。
思いついたものを紙に書き出して、少しずつ整理している。

なんとなぁく生きてきたけど、30歳になってやっと気づいた。
周りと比べたら遅いかもしれないけど、私の人生では今が最適。

楽しい方向に進んで生きていく。

清々しい気持ちで

今日で一旦区切りがついた。

もう二度と会わない人のほうが多いと思うけど、
思っていたより良い印象で終わることができた。

明日からまた違う世界で、
新しい自分を作っていきたい。

まだ全然実感がなくて、
不安や緊張や楽しさもなにもないクリアな感じ。

このままの気持ちで4月から、また一歩踏み出したい。

ARIA

ARIA The CREPUSCOLO』
この世界で生きていきたい。

私が一番好きな漫画。
私が泣きたいときに読む漫画。

素敵、綺麗、優しい、穏やか、癒し。
この漫画を指針に生きていきたいと思っている。

2021年3月5日に映画が公開されて、
それが嬉しくも私の誕生日で。
公開初日に映画館に行った。
変わらない優しさがあった。
思い入れが強くてどの場面でも泣けた。

何回でも見返したいし思い出したいと思った初めての作品。
ずっとこの優しい感情で満たされたい。

この作品の中で使われる言葉が本当に優しくて、
普段の生活で愚痴や汚い言葉を使うことに重苦しいイメージができた。
それがきっかけでなんとなく愚痴を言うのが嫌になり、
私も優しい言葉で表現していきたいと思った。

全ての人たちとの出会いや出来事が奇跡で、
とっても素敵なことなんだと、そう思える世界。

AQUAだから実現できるわけじゃなく、
灯里だから何事にも素敵を見つけられる。
自分の感じ方考え方でたくさんの素敵なものを見つけられる。
それ自体がすごいこと。

いつまでも素敵を見つけて生きていこう。

 

汚部屋に住まう

部屋が汚い。
一人暮らしを始めたときからずっと。

気になったら片付けたり掃除はするけれど毎日はやらないし、
自分なりに片付けられない理由を考えてみた。

実家にいたときは自分だけの部屋というものはなく、
一部屋を姉と共有して使っていた。
姉妹の二段ベッドがあり、他に服や荷物を置いていた。

いつも過ごすのはリビングだった。
テレビを見たり家族が集まる場所で、
自分だけの部屋がないことに不満や疑問も持たない生活だった。

学校では掃除の時間があって、
何時から何時までは掃除の時間で、
どこの班がどこを掃除するかまできっちり決められていたから、そのとおりにできた。
その時間になるとみんな同じように掃除をするから、そういうもんだと思って自分もできたし、
内気で真面目だったからちゃんとやってたと思う。

家では掃除の時間はなく、自分だけのスペースみたいなものが明確にはなかったから、
片付ける範囲とか何のためにやるのかとか、よくわかっていなかったと思う。
教科書を整理したり、お手伝いレベルで掃除機をかけたりはしてたけど、
家で定期的に掃除や片付けをするという考えに至らなかった。
末っ子で甘やかされてたのもあるかもしれない。

そのまま成長し一人暮らしを始めて、
自分しかいない部屋で
自分しか使わないものばかりで
散らかすのも自分だし片付けるのも自分だけ。
全部自分でやらなきゃいけないんだって気づいた。

片付けだけじゃなくて料理とか手続きとか買い物とかゴミ出しとか、
生活に関わること全て。

「片付ける」という習慣が身についてなかったんだなって気づいた。

一人暮らしだから誰も見てない口出さない自由さはあるけれど、
元気なときも体調が悪いときも、自分の責任で行動しなきゃいけない。

自由な暮らし、と思っていたけど、
片付けないことで自分で不自由を作っていた。

自由という範囲の中には不自由も含まれているんだと思った。


そのまま一人暮らしを続けて、10年以上経つ。
10年続けた片付けない習慣は、なかなか抜け出せない。

ときどき、びっくりするくらい綺麗に片付け掃除をする場面もあった。
それが続けばいいのに。
綺麗じゃなくても暮らしていけるが、綺麗なほうが絶対良い。


数か月先だが、引越しを考えているので、さすがに整理していかないといけない。
せっかくの片付けるチャンス。
少しだけだが、いらない服や家具を処分した。

きっと、もっと、自分では管理できないくらいの物を持っている。
10年続けてきた習慣は、10年かけて直していこう。